大樟 春秋会

大阪経済大学 創立90周年・
大樟春秋会40回記念
特別対談「70周年を振り返り、
100周年にむけての期待」
大阪経済大学 創立90周年・大樟春秋会40回記念 特別対談「70周年を振り返り、100周年にむけての期待」

黒正 洋史 氏

大阪経済大学 社会連携部部長

大河内 徹心 氏

1973年卒
大樟春秋会顧問
元 京都西川㈱ 社長

田中 富三 氏

1952年卒
元大樟会会長・元春秋会会長
元 日立金属㈱ 副社長

井阪 健一 氏

1953年卒
元大阪経済大学 理事長
元 野村證券㈱ 副社長
元 平和不動産㈱ 社長
「70周年から100周年に向けて!」

(黒正)
本学は昨年90周年を迎え、100周年を迎えるにあたり大経大のあるべき姿をイメージし、100周年ビジョン「DAIKEI2032」を掲げています。
本日は、2000年代に理事長、同窓会長を務められた井阪健一 元理事長と田中富三 元大樟会会長 兼春秋会初代会長のゴールデンコンビでの対談が実現いたしました。
当時の大学経営を振り返り、100周年に向けての期待など、お話をお聞かせいただきたいと思っています。本日は宜しくお願いいたします。
先ずは御二人の創立70周年記念当時の思い出話をお聞きかせ下さい。

(井阪)
2002年に70周年にあたって、財界人や会社の社長100名の著名人の講師を招聘し、1年半に渡る記念講演会を開催しました。日経新聞全面広告で70周年をPRしたり、平和不動産が関係するビルの廊下に講演スケジュール掲示したり、広報にも力を入れてきました。
さらに平和不動産の秘書達にも手伝ってもらい企業訪問や大学と一緒に高校を訪問して、様々な業界から注目されて高い評価を得たと思っています。
特に海部元総理大臣にご登壇いただいた際は重々しい警護の中で、「親友の井阪さんのお招きを断るわけにはいけない」と冒頭のご挨拶いただき、講演を開催したことは強い印象に残っています。

(黒正)
70周年記念講演に引き続き、実学を推進されるべくホリプロダクションとの連携授業では企画力やベンチャー育成を視野にいれた商品開発に特化した授業が開講されました。授業のコンテストでは「おばちゃんチップス」が商品化され、映画公開にもなりました。
70周年記念講演会の他、これらの取り組みが社会から評価された結果として、日経BPムックとして出版されました。

(井阪)
「継続は力なり」といいますが、当時は17歳のメッセージやそのよう斬新な企画を継続的にどんどんやりました。
「人間的実学」を究める事業を推進する事で企業や高校生にも魅力に思ってもらえる教育を意識して取り組み、今後も100周年を大々的にアピールするべき斬新な取り組みを期待しています。
周年事業はビジネスチャンスです。100周年を目指して、5年おきにイベントを実施することで学外のアピールや学内での意識づけにもつながると思います。

大阪経済大学
ここにあり!

(田中)
大経大はアピールが少ない。タブレットで関西の大学の情報を見ていますが、関大・近大が目立つが経大は殆ど出てこなくてさみしい限りです。

(井阪)
新しい取り組み方を考えねばならない。

(黒正)
本学もコツコツとアピールしておりますが、頑張らねばなりません。

(井阪)
経済大学として日経新聞でのアピールが必要ではないかということです。
「経済」とは、社会全体の事を示す言葉であり、意味を広義に捉え、哲学から倫理、法学も含む事を忘れず「大阪経済大学」として名称を変えることなく関西を基盤に情報を発信するべきだと考えます。

(大河内)
昨年は卒業生が10万人を超えることが出来ました。

(井阪)
そうだってね。
例えば地元紙を中心に「卒業生が10万人となる大阪経済大学」として卒業生の顔写真を新聞掲載するのはどうでしょう。
また高校廻りも大切です。同窓会、理事会が率先して、大阪・京都・兵庫・岡山の各高校へあいさつに廻り、地元紙へ種をまき、協力し活動すべきであると思います。

(黒正)
70周年以降も井阪理事長からの提案において様々な大学改革が進みました。特に「これからはビジネススクールの時代」として北浜にキャンパスを立ち上げられ、現在も継続されております。また、北浜キャンパス開設当初から一般ビジネスパーソン向けの講座もスタートさせ、その後は「北浜・実践経営塾」として12年間続けております。現在も経済評論家の岡田晃先生にコーディネートしてもらっています。

(井阪)
当時は将来の管理職候補や役員として期待される社会人を意識してきましたが、これからは若い人も加え、どんどん新しいことに取り組んでほしいと思います。

(黒正)
本学のインターンシップにおいても、他大学に先駆けて取り組み、受け入れ企業数や派遣学生数において文系大学ではで日本一になりました。

(井阪)
勉強する上では社会の事を知る必要がありますし、社会が認めていることは続けなければいけないと考えています。
定員はどうですか?

(黒正)
2023年度より定員を増やし、また2024年度には新学部の開設にむけて頑張っております。

 
大経大の元気を
大阪・関西へ!

(井阪)
当時、関西外大との連携、松山大学、東京経済大学との旧制高等商業学校の連携など他大学との連携強化を深めて、相互補完関係の構築にも注力しました。
現在、大阪は名古屋に抜かれています。大阪は頑張らねば!! 大学も大阪市、大阪府など自治体や府内の大学と連携強化するべきです。
2025年大阪・関西万博は世界の誰もが知っています。大阪経済大学も一緒になって関西を盛り上げてほしい。

 
大経大ブランドへの思い!
暖簾を大切に!

(黒正)
1999年に理事長になられ2期お勤めになられました。そのころの大学の印象はいかがでしたでしょうか?

(井阪)
「まじめな大学」という印象で、経営的な観点において行政からも認められていました。
理事長として、理事会と大学と教授会との役割を明確にできたと思います。理事会は組織として大事な位置づけです。然し三位一体であり、意思決定を早くするため学部長を理事にしました。
学生数を分子とすれば、分母は教員です。そのバランスを維持し、質の高い教育を継続する必要があるという考えを大事にしました。
本学の名前を広げるには、地道な活動も必要です。大阪・京都・兵庫・岡山の高校へ理事たちは訪問しなければいけないですね。

  
同窓会の役割は!

(田中)
大学と同窓会は車の両輪。大学発展のビジョン・方針に対して同窓会が一緒になって取り組むことが重要である。
当時の井阪理事長、渡辺学長、同窓会との関係は良好だった。三位一体でなければいけない。

(井阪)
大切な事ですね。大阪経済大学としてのブランドを生かすべきと思います。

  
春秋会の役割、
生い立ちとは!

(田中)
1988年 澱江の企画で「東京のOBは、今」という座談会をやった。それがきっかけになり、当時、井阪さんが社長をしておられた野村證券投資信託委託株式会社のオフィスで会合をスタートしたのが始まりです。
当時は関連企業の役員をしていた人達が集まって、定例的に懇親会を始めた。春秋会というネーミングで、会長は井阪さんでした。
(DENKO 第24号 1988年発行「東京のOBは、今」をぜひご覧ください)
井阪さんが大学の理事長に就かれたので、会長は私に回ってきた。2000年に春秋会を拡大する意見が出て、関西企業も含めて新発足することに決定。発会式、第1回春秋会は、 2000 年7月大阪新阪急ホテルで開催された。

(大河内)
本年春秋会総会を40回目の開催となります、是非ご参加いただけます様、お願い申し上げます。本日の座談会風景を当日会員の皆様にリアル+リモートでご覧頂ければと思います。

大経大の入学について。
思い起こせば!

(黒正)
大阪経済大学への入学のきっかけをお聞かせいただきたく思います。

(井阪)
三重から大経大入学第1号です。友人の勧めもあり、次男坊ゆえ家の商売を継ぐよりまずは大学を目指しました。大阪経済大学を選んだきっかけは新聞広告です。こじんまりした大学だったが、かっこいい先輩が多かった事と経済という名前がついている大学なので、立派な大学だという印象で勉強できると思いました。

(田中)
私が本学を入学したきっかけは3つあります。
①父が病身、兄が戦地から帰らず、家系裕福でなく、学費は自分が稼ぐ条件で進学。大阪経専は授業料が安かった。
②1947年当時の大阪経専は男女共学だった。素晴らしい女性の先輩が多かった(笑)
③旧制中学時代の校長先生から、大阪経専は良い教授陣が揃っていると聞いた。
在学中の一番の思い出は1947年~49年にかけての大学昇格運動だった。大学の昇格には黒正先生の学長就任が必須であり、学生・教職員一丸となって復帰運動をやった。「学徒師弟が幹負いもちて」を地でゆく熱意であった。
昇格の結果を新聞で知った時には、おもわず万歳を叫んだのを覚えている。

(黒正・大河内)
予定時間を大幅に越えての対談となりました。今後共諸先輩にはお元気で大学、大樟会、春秋会へのアドバイスをお願い申し上げます。本日は有難うございました。

以上

※対談の動画を会員制ページ【MEMBERS ONLY】で限定公開しております。
併せご覧ください。